世の中には食べないで生きている人たちがいます。
液体だけ摂取するリキッダリアンや、水さえ飲まず全く何も食べないブレサリアン(呼吸主義者)。
『食べない人たち』は秋山佳胤、森美智代、山田鷹夫、3人の不食者が不食に至った経緯が描かれています。
自然と不食になった人、病気治療のための断食から不食になった人など、理由は様々です。
スポンサーリンク
不食の目的
人は食べ物だけに飢えるのではありません。
- 「お金がもっとたくさん欲しい」
- 「今よりもっと高い地位がほしい」
- 「人が振り向くくらいの有名人になりたい」
- 「世界で最も美しくなりたい」
- 「たくさんの異性にモテたい」
- 「人が驚くくらい強くなりたい」
- 「人が知らない知識がたくさん欲しい」
不食の究極の目的は、これらの飢えから自由になること。
食べるか食べないかは、それほど重要なことではありません。
しかし食べ物への執着が薄れていくと、物事への執着も薄れていきます。
昔から宗教的な修行に少食や断食が用いられていたのもそのためなのです。
断食と不食の違い
【断食】
- 一時的に食物の摂取を断つ
- 食べるのを我慢する
- 修業的
【不食】
- 食物を摂取しなくても生存できるという意識
- 我慢はしない
- 習慣
食べることの体への負担
物質的な食物は、それが私たちの体とはまったく異なる物質でできているために、消化・分解・吸収する過程で体に負担を与え、エネルギーを消耗させることになります。
動物性たんぱく質は特に消化・吸収に時間がかかり、さらに負担が大きくなります。
その結果、重い食事をすると疲れて、人によっては眠くなってくるのです。
しかも、摂取した栄養素が体の中で燃焼すると、活性酸素が生じて体を疲労させ、老化を促進することにもなります。
少食にするだけで・・・
- 寿命が延びる
- 免疫力・自然治癒力が高まる
- 若返る
アメリカのウィスコンシン大学で、1980年からアカゲザルとリスザル60匹を2つのグループに分けた実験が行われました。
一方には普通のエサ、もう一方には少量のエサ(30%エネルギー制限)を20年に渡って与え続けたところ、15年後に少食のサルの死亡率が普通のサルの半分であることが判明しました。
実験が特に大きな関心を集めたのは、少食による若返りの効果です。
普通のエサを与えたサルたちは、年月を経るにしたがって白髪が増え、シワが増え、肥満になり、背中が曲がって動きが鈍くなっていくのに対し、エサが少食だったサルはいつまでもスマートで、シワも少なく、毛並みにつやがあって、若々しく敏捷でした。
彼らを並べると親子か祖父母と孫のような間柄に見えるほど、その姿はかけ離れていたのです。
また、長寿遺伝子(老化を遅らせる遺伝子)が発見され、少食がその遺伝子スイッチを入れることまでわかってきました。
これらの研究は世界の医学者を驚かせ、少食療法が民間療法のレベルを脱して医学の対象とされるまでになっています。
不食のコツ
体の声を聞く
不食のポイントは「人は食べなくても生きられる」という意識への転換。
潜在意識の中にある「人は食べなければ飢えて死ぬ」というデータは強力なので、できるだけ頭を使わずに体の意識に導いてもらう。
「人の体は食べないことに慣れることができる」という体験を実際にすれば、ネガティブな情報が徐々に書き換えられていきます。
体の声を聞くのに、最も手っ取り早いのが「空腹は快感である」ことを知ること。
空腹を感じると、人によってはイライラしたり、食べたいものが次々に頭をよぎったりします。
それでも、その時の体の方に意識を向けるのです。
ただひたすら空腹感を味わっていると、ある時点で空腹感が薄らいでいきます。
それをさらに味わっていると空腹感が消えていく。
時間が経過するうちに今度は脱力感に襲われてくる。
多くの場合、空腹感より脱力感の方に危機感を抱きます。
動くのがつらいので、安静にしてその感覚を味わってみようと考える人もいますが、それは頭の判断。
むしろ体を休ませないで、軽いランニングなど、何か運動をして逆に体を動かしてみましょう。
脱力感があっても運動はでき、しかも運動を続けると、その脱力感すら消えていきます。
これにより、それまで抱いていた空腹のイメージが変わっていくのです。
不食ではなく少食をめざす
一週間に1回でも2回でも構わないので、1日1食、または1日1食+微食にして空腹をとことん味わう日をつくります。
不食ができるかどうかは、「一日一食」ができるかにかかっています。
ここがはじまりであり、同時に目的地です。
1日1食ができれば、人によってはそれで十分。
1日1食が習慣化して、自然にその体験をさらに深めていこうという欲求が起こり、その結果、最終的に到達するのが不食です。
1日1食を気持ちよく続けていると、それが1日1回の微食へと変わり、さらに限りなく不食へと近づいていきます。
その過程は自然で無理がなく、心身も快調。
気がついたら不食になっているというのが最も理想的な形。
ある意味、不食はできなくて構いません。
逆にいきなり不食をめざそうとすると、危険度が高く、失敗する可能性も大きいのです。
それは不食の意味を理解していないことから起こります。
1日1食が習慣となっても、多くの場合「人は食べないと飢えて死ぬ」という潜在意識の情報が残っています。
潜在意識に抗って不食をしようとすると餓死に至ります。
そのようなことを絶対に行ってはいけません。
潜在意識と闘わないようにする。
そうすれば先に進むことができるでしょう。
10年かけるつもりでやる
潜在意識と闘わないためには、期間は10年かける。
そうした余裕で不食をめざせば、結果的にはもっと短期間で不食に到達することもできます。
不食への道をあせらず、ゆっくりと楽しむ。
空腹を友とする。
考え方一つで、不食への道程は長くも短くもなります。
【関連記事】