1960年、一人の元ナチス将校がイスラエル諜報部によって拘束され、エルサレムで裁判にかけられます。
男の名はアドルフ・アイヒマン。
ユダヤ人を絶滅収容所に移送する責任者でした。
政治哲学者ハンナ・アーレントは自ら志願してこの裁判を傍聴。
何百万人もの死にかかわったアイヒマンが、どこにでもいる平凡な人間だったことに衝撃を受けます。
普通の人間がいかにして「悪」となったのか・・・。
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『エルサレムのアイヒマン』
ナチスの「世界観」がユダヤ人虐殺を可能にしたことが『全体主義の起原 3 』に記されていましたが、実行した個々のドイツ人のその感覚はどうして生まれたのでしょう。
アーレントは絶滅計画の実務責任者だったアイヒマンの裁判を自分の目で見ることがユダヤ人の生き残りとしての使命と考え、その記録を『エルサレムのアイヒマン』という本にしました。
アドルフ・アイヒマン(1906年~1962年)
アドルフ・アイヒマンは1906年ドイツの平凡な中産階級の家庭に生まれます。
工業専門学校を中退した後、いくつもの職を転々としますが、人員整理のために失業。
すでにナチスに入党していたことから、これを機に親衛隊内部の諜報機関である公安部に志願。
ユダヤ人問題に関する仕事を担当します。
そしてユダヤ人をドイツ国外へ移住させるための交渉に力をふるいます。
複雑な規則を暗記し、順調に仕事を進めていったアイヒマンはユダヤ人移住専門家として認められ、昇進を重ねます。
彼は反ユダヤ主義に使命感を感じていたわけでもなく、ヒトラーの『わが闘争』も読んだことのないただの役人だったのです。
第二次世界大戦が始まると、アイヒマンは新設された国家保安本郡のユダヤ人課課長となります。
そんな中、ナチスはユダヤ人問題の最終解決を決定。
アイヒマンは絶滅収容所で何が行われているかを知りながらも、ユダヤ人移送の実務責任者としてその職務を全うしていくのです。
ナチス降伏後、アイヒマンは偽名を使って逃亡。
アルゼンチンで家族と共に目立たない生活を送ります。
しかし1960年、イスラエル諜報部によって正体が発覚。
ひそかに拘束され、エルサレムに連行されます。
翌年4月、公判開始。
裁判官も検事もイスラエル国民、すなわちユダヤ人という法廷でした。
防弾ガラスのケースの中、アイヒマンは自分が何をなしたのか淡々と証言します。
アーレントは裁判を傍聴し、アイヒマンの主張に耳を傾けました。
彼のすることはすべて、
彼自身の見方によれば、
法を守る市民として
おこなっていることだった。
彼自身警察でも法廷でも
くりかえし言っているように、
彼は自分の義務をおこなった。
命令に従っただけではなく、
法にも従っていたのだ。
アイヒマンはこれは重要な相違であると
いろいろほのめかしたが、
弁護側もそうした言い分は
取り上げなかった。
- この裁判は本当の意味で近代法に基づいた裁判ではなくて「政治ショー」のような色彩を持っていた。そういう部分も視野に入れながらアーレントはアイヒマン裁判のことを記述している。
- 彼を見ていると有能な官僚だと分かる。その有能な官僚ぶりを「政治ショー」であり、死刑にされることが予想される裁判の場でも維持している。
- アイヒマンは「法によって定められている」「自分は法を尊重する市民である」と法の根幹になっている基本的な原理に従って仕事をした。
- 彼に証言させても「悪の権化」的なところが出てこない。むしろアイヒマンの悪は陳腐でどこにでもいそうな人間。
アイヒマンは取り調べにおいてこう発言しています。
ユダヤ人殺害に私は全く関係しなかった。
私はユダヤ人も非ユダヤ人も一人も殺していない。
そもそも人間を殺したことがない。
ユダヤ人や非ユダヤ人の殺害を命じたこともない。
彼は移送後のユダヤ人が殺されるかどうかは、自分の管轄外だと繰り返し主張します。
そして膨大な資料を使い、自分がいかに経験豊かな移送の実務家で、混乱していた技術的問題を円滑に処理したかを熱心に証言しました。
ユダヤ人の絶滅を決定したヴァンゼー会議でも、アイヒマンは誰にも気に留められず、ただテーブルの端に座っていただけだと主張します。
彼はその後、ユダヤ人を絶滅収容所へ送る多くの書類に分け隔てなくサインしていきます。
人を殺す義務の遂行に
徹底的に忠実だったこの態度こそが、
彼を正当化するものだった。
例外なしーー
これこそ彼が感情的なものであれ
利害に基づくものであれ
自分自身の傾向に
さからって行動したことの、
常に自分の<義務>を
はたしたことの証拠だった。
アイヒマンは裁判官に「義務感と良心の間に葛藤はなかったのか?」と尋ねられ、こう答えています。
私は意識の中で分裂した状態にあったのではないかと思います。
一方の側にいたと思うとあっという間に他方へと意識が飛躍してしまうのです。
ナショナリズムを信奉する者としてその教えに忠実に、ナショナリストとして義務を果たしました。
自分の昇進に
おそろしく熱心だったことのほかに
彼には何の動機もなかった。
そうしてこの熱心さは
それ自体としては
決して犯罪的なものではなかった。
言い古された表現を使うなら、
彼は自分が何をしているのか
わかっていなかったのだ。
全くの無思想性ーー
これは愚かさとは決して同じではない。
それゆえ彼は
あの時代の最大の犯罪者の一人になるべくしてなったのだ。
法の下にある普遍的道徳(人間はどうあるべきなのか)について思考が及んでいないせいで、やっていることが機械的な処理になっている。
そういう意味での「無思想性」で全体の方針として決まっていることに淡々と従うことができた。
アイヒマン裁判の判決
1961年12月、アイヒマンに判決が下ります。
人道に対する罪など全ての罪状で有罪。
死刑を宣告されます。
翌年5月、絞首刑。
死刑制度のないイスラエルで例外的な措置でした。
ニューヨークに戻ったアーレントはアイヒマン裁判に関する自分の考えをまとめ、ニューヨーカー誌に5回に分けて掲載。
平凡な市民であるがゆえに、陳腐な悪をなした犯罪者に自分なりの判決を述べるのです。
君が大量虐殺組織の
従順な道具となったのは
ひとえに君の
不運のためだったと仮定してみよう。
その場合にもなお、
君が大量虐殺の政策を実施し、
それ故に積極的に支持した
という事実は変わらない。
というのは、
政治は子供の遊び場ではないからだ。
政治においては服従と支持は同じだ。
政治を君が支持し実行したからこそ、
何人からも、
すなわち人類に属する何人からも、
君とともに
この地球上に生きたいと願うことは
期待できないとわれわれは思う。
これが君が絞首されねばならぬ理由、
しかもその唯一の理由である。
一つの人種、ユダヤ人というある属性を持った集団をこの世界から消滅させようとしたことーーそれが自分たちとアイヒマンがこの世界を共有することができない理由。
人間には複数性が必要。
嫌ってもいいから、最低限でも自分と異なるタイプや異なる思考をする人間の存在を認めるような世界でないといけない。
アーレントの連載は一冊の本にまとめられ、刊行されます。
しかし、アイヒマンを「どこにでもいる陳腐な人間」と述べたことがナチスの罪をかばっていると世間から激しい非難を受けます。
さらにアーレントはナチスに協力したユダヤ人団体側の責任も指摘したことで裏切り者扱いされ、友人のほとんどを失ってしまいます。
しかし、彼女の「誰もが悪をなしうる」という考えは、その後長く影響を保ち続けることになるのです。
ミルグラム実験(アイヒマンテスト)
1962年にアメリカの心理学者スタンリー・ミルグラムは「別室にいる生徒が問題に正解できなければ先生は生徒に電気ショックを与える」という実験を行いました。
生徒はサクラで実際には電気は流されておらず、嘘の演技で先生をだまします。
実験の目的は生徒が苦痛を訴え、絶叫し、最後は無反応になっても、先生がルール通りに電圧を上げるかということでした。
結果、6割の先生が権威のある人物が冷静に支持を出せば、電圧を最高レベルまで上げました。
これは平凡な市民が、ある一定の条件の下では非常に冷酷で非人道的な行為を行うことを示している実験。
人間は一旦受け入れて納得してしまうと、権威に合わせることが正しいことだと自動的に考えてしまう。
おそらくその時は、何が道徳なのかということはもう考えておらず、権威に従うことが無自覚的な道徳として体の中に染みついている。
悲劇を繰り返さないために・・・
「普段、いかに考えることをしていないか」ということを自覚する。
敵対する意見がどういう意見なのか、向こう側の論理も把握する。
我々は感情的で馬鹿なことを言っている人を見つけて、批判することで安心しようとする傾向がある。
反対意見の中で、冷静に論理的に展開されているのはどういう意見で、どういう道徳的な原理なのかを把握した上で、もう一度自分の意見を考え直すことが必要。
嫌でも複数性に耐える。
それに耐えて初めて人間らしさを保つことができる。
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