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【Qさま】歴史のプロが選んだ本当にスゴイ幕末・明治維新の人物ベスト25

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世界一よくわかる幕末維新 (祥伝社黄金文庫)

『Qさま!!』にて、歴史のプロが選んだ!“幕末・明治維新の人物ベスト25” が発表されていました。

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歴史のプロが選んだ!本当にスゴイ幕末・明治維新の人物ベスト25

第25位:幕末の大老井伊直弼(1815年~1860年)

※生誕の地でインタビュー

「現在の日本にとってはある意味キーマン的な存在だったと思います。若かりし頃に勉学に励んだという建屋があるんです。ここで若かりし頃を過ごされたという名残りはありますよね」

※東京都内でインタビュー

「もともと加藤清正公の下屋敷があった土地が後に井伊直弼の中屋敷として引き継がれまして、その後、当ホテルの創業者・大谷米太郎が日本庭園として維持したという経緯がございます(※ホテルニューオータニ)」

ここがスゴイ!
実は国際情勢に詳しいスゴイ人物。彼が条約を結んだことは当時の情勢的に最善の策。後に内容を改正できるという条件をつけたのもスゴイ!死を覚悟であえて条約を結んだ武士の中の武士。

第24位:アメリカの提督マシュー・ペリー(1794年~1858年)

※ゆかりの地でインタビュー

「結局ペリーっていうのは和やかな人だったみたいです。そんなに頭から押さえるような人じゃなかった」

「行事があるんですよ。ペリー祭が5月の金土日と。それのお祭りが3日間ありまして、道中と言って・・・これはあの何年前でしょうか」「50年くらい前。町中をみんな仮装行列で・・・大勢の人が来て頂ける町の一大イベントです」

「了仙寺に契約を結びに来たんですね。ここを通ったのでペリーロードと言う。お供を連れてね。何十人で行ったり来たり通ったんですって」

「小学校の校歌?♪米使ペリーの来航に♪鎖国の扉開かれて♪曙光まばゆく海外に♪名も知られたる我が下田」

ここがスゴイ!
ペリー以外からも開国を迫られていた日本。なぜペリーの開国に応じたのか? 日本のことを徹底的に分析。強硬な姿勢と軍事力で開国を実現(※諸説あり)

第23位:新選組副長土方歳三(1835年~1869年)

第22位:初の政党内閣を組織大隈重信(1838年~1922年)

第21位:旧幕臣・明治の外交官榎本武揚(1836年~1908年)

第20位:公家出身岩倉具視(1825年~1883年)

  • 過去には500円札の肖像画になった人物

※ゆかりの地でインタビュー

「当時こちらには3年間住んでおりました。暗殺の危険があってこちらに身を隠したということですね。ここの屋敷にはいろんな志士たちが倒幕の話をしに訪ねて来ているんですけど、ちょうどこの玄関の向こう側の壁を乗り越えて志士たちが訪ねて来たり出て行ったりするということがありました」

「このあたりの桜とか紅葉の時期の楓とか、景観保全のために植え直して作り直した方なんです。明治時代に景観を作り直さなければ、今の嵐山の桜や紅葉の時期のもみじはおそらくないと思いますね」

ここがスゴイ!
江戸幕府の消滅は岩倉が天皇中心の国家へと仕向けたから。薩長を連合させ幕府と対立させた。明治維新は彼なしで実現しない。陰で日本を操ったスゴイ人物。

第19位:徳川家茂の正室和宮(1846年~1877年)

ここがスゴイ!
日本で初めて皇族から将軍家に嫁いだ人物。公武合体という公(天皇家)武(将軍家)を密接に結ぶために嫁いだ。戦争を回避するために尽力。江戸無血開城の立役者の1人とも。(※20位の岩倉具視も公武合体を推し進めた人)

第18位:緒方洪庵(1810年~1863年)

ここがスゴイ!
1838年適塾を開く。そこでは若き日の福沢諭吉・橋本左内・大村益次郎ら、その後活躍する多くの弟子を輩出。また、牛痘(牛から採ったウイルス)で予防接種を日本に本格的に広めた。

第17位:薩摩藩出身篤姫(1835年~1883年)

ここがスゴイ!
江戸を戦火から守った江戸無血開城。これに19位の和宮と同じく尽力したのが薩摩からやって来た篤姫。西郷隆盛は元々江戸城を攻撃したかった。→結局攻撃せず江戸城無血開城が実現。→篤姫が西郷に送った手紙の功績が大きかった。

江戸城の明け渡し→大奥は解散となる。篤姫は私財を擲って大奥の女性たちに支度金を渡した。篤姫は財産をほとんど残さなかったとも。

ちなみにペリーが持ち込んだミシンを初めて使ったのは篤姫。

第16位:佐久間象山(1811年~1864年)

ここがスゴイ!
地震予知機や写真機、近代的な技術を西洋から学び様々な物を作った。坂本龍馬には砲兵術を、勝海舟には富国強兵の大切さを唱えた。明治政府の基本的な方針は佐久間象山の思想から生まれている。

第15位:長崎で活躍トーマス・グラバー(1838年~1911年)

※地元でインタビュー

「維新の倒幕に貢献した人というふうに認識していますね。ご本人が自分が一番の倒幕の志士だっておっしゃったそうですから」

「日本で初めて蒸気機関車を走らせた」

「日本の近代化を進めてくれた人なんです。軍艦島にありますね、古い建物が・・・グラバーさんの名前がついているんです。30号棟と言いまして、日本で最古の鉄筋コンクリート造りの集合住宅ですよ」

「明治日本の産業革命遺産になってますよね(※世界遺産・小菅修船場跡)」

ここがスゴイ!
イギリスから貿易商人として来日すると幕末の日本で活躍。長崎に蒸気機関車(アイアン・デューク号)を走らせ、日本初の洋式近代的ドック(通称ソロバンドック)を造り、造船の町・長崎の基礎を作った。また、旧グラバー住宅も世界遺産に登録されている。

第14位:土佐出身ジョン万次郎(1827年~1898年)

※地元でインタビュー

「日本で一番の大学と言われる東大の方に先生みたいにして招へいされた」

「日本で初めてネクタイをした人ですね」

「日本人で英語のテキストを初めて作った人とそういうふうにお聞きしています」

ここがスゴイ!
漁の最中に遭難→渡米→10年後に帰国→2年後に黒船来航

遭難した結果アメリカに渡り、外国と交渉できる有能な逸材となった。

13位:維新の三傑木戸孝允(1833年~1877年)

ここがスゴイ!
五箇条の御誓文や廃藩置県など明治維新の政策のほとんどに携わった。

第12位:最後の将軍徳川慶喜(1837年~1913年)

ここがスゴイ!
京都二条城で表明した大政奉還により幕府の時代を終わらせた。

第11位:適塾で学んだ福沢諭吉(1834年~1901年)

ここがスゴイ!
言わずと知れた慶応義塾大学創設者。日本の発展のために学問の必要性を強調。

第10位:岩崎弥太郎(1835年~1885年)

ここがスゴイ!
日本で初めてボーナスを支給したとも言われる。

第9位:軍事の天才高杉晋作(1839年~1867年)

※ゆかりの地でインタビュー

「国を守ったというか・・・スゴイ人。島が外国にとられそうになった時、高杉晋作が出て来て古事記をずっと繰り返して交渉決裂になったっていう話もありますよね(※諸説あり)」

「武家の中でも地位が高かったらしいんですよ。それなりの格好していますよね。羽織袴とか」

ここがスゴイ!
わずか80人で決起し、長州藩に革命政権を樹立。天才的な戦場指揮能力で幕府軍を撃破した。ちなみに坂本龍馬が持っていたピストルは高杉晋作がプレゼントしたもの。

8位:薩摩の英雄島津斉彬(1809年~1858年)

※地元でインタビュー

「地元の神社の境内?広場に銅像が建ってて、そこの神社の神様として祀られている」

「勝海舟と島津斉彬がここで会談した」

「ここは島津斉彬の別邸だってボクは理解しています」

「日の丸ですよね」

ここがスゴイ!
アヘン戦争で東洋一の帝国・清がイギリスに敗北。→誰よりも早く日本の危機を理解。

薩摩だけで近代日本を作ろうとしたモンスターぶりがスゴイ!

現在、明治日本の産業革命遺産として世界遺産に登録された集成館を設立し、大砲や蒸気船を独自で製造。

第7位:実業家渋沢栄一(1840年~1931年)

ここがスゴイ!
商業活動は社会を明るくする人々のためになる活動。優れた経営理念で渋沢が携わった企業は今でもあらゆる分野で活躍。500以上の会社に携わり、その約6割が現在も残っている。(※帝国ホテル・東京ガス・サッポロビール・王子製紙など)

第6位:維新の三傑大久保利通(1830年~1878年)

ここがスゴイ!
私利私欲とは無縁で、予算がつかない政府の事情は自分の財産を切り崩していた。

第5位:長州藩出身伊藤博文(1841年~1909年)

ここがスゴイ!
初代内閣総理大臣。44歳で総理就任という最年少記録は破られていない。

第4位:幕末・明治の政治家勝海舟(1823年~1899年)

ここがスゴイ!
江戸無血開城はもちろんのこと、幕府側の人間であったにもかかわらず、坂本龍馬だけではなく明治新政府に関わる人たちにも大きな影響を与えた。

第3位:土佐の英雄坂本龍馬(1836年~1867年)

第2位:薩摩の英雄西郷隆盛(1827年~1877年)

第1位:松下村塾を主宰吉田松陰(1830年~1859年)

ここがスゴイ!
高杉晋作・伊藤博文・山縣有朋など維新の志士や政治家をわずか2年で育てた。

 

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