スポンサーリンク
7日間で頭がよくなるステップ
1日目、2日目はこちら▽
3日目は、2日目に紹介した30個の哲学概念のうちから最重要と思われる10個を学びます。
この10個の論理パターンこそが、物事の本質をつかむ上でカギとなります。
3日目:頭がよくなるための論理パターンベスト10
カテゴリー:種類ごとに階層的グループに分ける
頭の中に入ってくる情報を種類に分けて、階層化する。
通常の意味で使われるカテゴリーよりは狭く、あくまで認識のための頭の中の分類表です。
頭の中に自分なりのものさしを設定し、まず種類と性質に着目して分類。
そして各々の下にサブカテゴリ-をぶらさげて階層化していくのです。
車に関してなら、セダン、ミニバン、スポーツカー、四駆、軽自動車という種類に分けて、さらに各々を細分化していく。
あるいは、性質という面でガソリン車と電気自動車という分け方もできます。
何かを見たり聞いたりした時に、瞬時に頭の中にカテゴリー表がパッっと展開するのが理想です。
主観と客観:主体と客体で区別する
誰が何をしたのかという主体と客体の区別をしっかりする。
主体は自分、客体は自分が認識するもの。
主観と主体の違いは、認識と実践の違いです。
何かを認識している時、これが主観。
その認識に基づいて行動している時、その行動している自分は主体です。
客観と客体もこれに対応しています。
主体以外の全てが客体ではありません。
世界は無限に広がっていますが、自分が認識しているのは一部です。
主体は世界を切り取って、そこに意味づけ(理解)することで客体を作り出します。
たとえば何かが起こった時、闇雲に対処するのではなく事態を分析し、自分の扱える問題として客体化していく。
自分の手に負えるものとして世界を切り取れるかどうかが勝負になります。
時間と空間:時間軸と空間軸に位置づける
「いつ、どこで」頭の中に時計と地図をきちんと備える。
今はデジタル時計で時刻を確認することが多いですが、時間の経過を考える時にはアナログ時計で確認した方が分かりやすい。
45分の試験なら、円の四分の三というふうに量として思い描くことができます。
また時間は過去・現在・未来という形で物事の順序をはっきりさせます。
時間が順番に生じる秩序であるのに対し、空間は同時に存在する秩序です。
時間だけでは不十分、空間だけでも不十分。
時間と空間の組み合わせによってはじめて、異なる事象が特定できるのです。
イデア(真の姿や形):物事の正体を見抜く
どんなものでも見たまま信じるのではなく、裏があると考えそれを見抜く。
裏というと悪いものであるかのようですが、真の姿という意味です。
物事の正体を見抜くためには、情報源を増やす必要があります。
そのうえで何が本当のことなのか、物事の背景にも目をやりながら真実を導き出すのです。
たとえばバラにはバラのイデアがあり、円には円のイデアがあります。
だからバラのつぼみを見ただけで、満開のバラを思い浮かべることができるのです。
ガタガタの円を見ただけで、きちんとした円を思い浮かべることもできるのです。
イデアというのは物事の理想像で、理性によってきちんと捉えることができます。
運動として捉える:動いている途中として見る
物事の本質を見抜くには、止まっているものを動いていると見たりする視点が求められます。
運動とは広い意味では物事の変化一般を指しますが、狭い意味では物体の場所的な変化をいいます。
普通は肉眼で見ていても明らか変化がない限り、そこに運動があるなどとは思いませんが、何日も観察していると変化が見られる。
これを運動だと捉えるのは、頭で物を見てはじめて可能になります。
弁証法:マイナス要素をプラスに転じる
問題点や矛盾点をうまく解消し、誰もが納得いく答えを導き出す。
それは単なる妥協ではなく、発展的な第三の道といってもいいでしょう。
妥協とは何かをあきらめることであって、それでは周囲の納得を得るのは困難です。
「正→反→合」(ヘーゲルの弁証法)
物事(テーゼ)に対して、それに矛盾する事柄、問題点が存在するような場合(アンチテーゼ)、これらを取り込んで、矛盾や問題点を克服し、より完璧に近い形に発展した解決法(ジンテーゼ)を生み出すという方法です。
物事は何でも矛盾を抱えています。
正の側面もあれば、他方で必ず負の側面もあり、それでも物事は存在しているのです。
大切なのはマイナス要素をプラスに変える転換の部分です。
その際、矛盾や否定を「原動力」と捉える点が特徴。
弁証法はいったんマイナスの状況をかかえます。
ことわざでいうなら「禍を転じて福となす」「雨降って地固まる」「けがの功名」
差異として捉える(否定弁証法):差異を重視する
弁証法は一つにまとめる思考法でしたが、場合によってはそれが負の効果をもたらすこともあります。
差異は差異のまま残しておこうとする思考が否定弁証法です。
同一化してしまうと、異質で多様な他なるものを都合よく変形させることがあります。
弁証法はある物がどの集団に属するのかを重視するのに対して、否定弁証法はそのものの個性を重視する。
考察する時にあらかじめ決めつけをしない。
そのもの自体の存在に着目して、その結果として一つにまとめたり、グループに分けたりするのです。
だからこそ、まとめずにそのままにしておこうという結論にも至ります。
構造主義:構造の中でとらえる
目の前の現象だけにとらわれていては本質は見えてきません。
何事も他の物との関係、そして全体(構造)の中で存在しているのです。
いかにして構造を見抜けるかが、物事の本質をつかむうえで重要になってきます。
因果関係:原因と結果の関係として見る
原因と結果の関係でとらえることで、対象となっているものが存在する理由も見えてきます。
原因のない結果はありません。
私たちはなぜ存在しているのか?
それは親という原因があるからです。
では、なぜ親やまたその親は存在しているのか?
それは究極にさかのぼれば、地球が生命を生み出す環境にあったからです。
ではなぜ地球は生命を生み出す環境にあったのか?
それは太陽との位置関係・・・
こんなふうに物事は何でも原因と結果の関係で成り立っているのです。
人間にとっての意味:人間の存在を前提に考える
物事の本質といっても、それは人間にとっての本質になります。
これは人間中心主義ではなく、あくまで不可避的にそうなってしまうということです。
たとえば地球の環境問題を考える時、動植物を中心に考えることはできますが、人間が存在することは前提です。
物は人間が使うもの、食べ物は人間が食べるもの、学問は人間が学ぶためのもの。
家はもちろん人間が住むためのものですが、地球全体も人間が住むためのものだといえます。
地球には他の動植物も住んでいますが、それは人間と共存するための存在なのです。
【関連記事】